お久しぶりです。
久々に開くと最新の記事に39日前の文字
さてなぜこれほど期間が空いたのかと言いますと、まあアホらしい理由ですが、
「完全に存在を忘れていた」
これだけです。
体壊して緊急搬送されてから気分が落ちこみ、毎日離人感のような感覚があり気がつけば一ヶ月経っていました。この一ヶ月の記憶は曖昧でございます。そうですねこの一ヶ月の記憶から何とか思い出せるのは絵を描くことに夢中だったことくらいですかね。この頃から裸体と漫画に手を出すようになりました。少しお話ししましょう。
裸体と言うと卑猥に感ぜられる方もいらっしゃることと思いますが、私が求めるのはあくまで卑猥さを感じないものでございます。ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』やドラクロワの『民衆を導く自由の女神』を見て性的興奮を覚える方は…ネット環境のない子供くらいですかね。まあ恐らくほとんどいないでしょう。私が興味を持っているのは裸体そのものでそこに卑猥さは不要であろうと考えています。しかしながら何枚描いても必ずそういう絵に見えてしまい修正を重ね妥協し完成とするのです。毎度表情と緊張状態に注意しつつ描くのですがどこか心にある動物的穢れが無意識に出てしまうのでしょうね。あとは簡略化された絵柄ゆえ現実の人間が持つどこかだらしない部分が排除されそういった絵になるのか。最近は卑猥に感ぜられても人に見せなければ良いだろうと完成とするようにしているので生産数は増えております。
さて次は漫画ですが
ムズイ
いやもうこれだけで文章終わらせたいのですが一応そう感じる理由を並べます
コマ割りわからない
構図わからない
話わからない
時間わからない
完成間近で話がつまらなく思える
完成間近で矛盾に気がつく
もう嫌や
漫画描ける人ってすごいなあって思いました。私は会話が主で基本人がいるだけの絵にフキダシをつけて長々と文章を入れるまあ挿絵めっちゃ多い文章みたいなやり方を好むのですが、世の有名な漫画はまあ風景やら体の動きやら話やら絵だからこそ出来ることで物語をより面白くしております。いや漫画読まないのであまりわからないのですけれどもチラッと読むとすごいなぁってなります。
申し訳ありません眠くてささっと終わらせにかかっています。
ここ数日の出来事は何がありますかね。昨日の昼から入眠までの記憶を喪失したくらいですかね。
さて久々の投稿はここで終わりです。
最後までお読みくださりありがとうございました。それではごきげんよう。
緊急搬送
今日はまだ気分が悪いので短めに。
さて詳しくは言えませんが調子に乗っていたら胸に激痛が走り救急車呼ぶことになりました。自業自得なので誰かを殴ろうにも自分の顔しか浮かびません。
ただ日本の社会制度が良くできていることを改めて確認できたので良い日だったとも思います。救急車、多くの検査、複数の点滴、知識ある人々、処方薬、これ全部込みで二万円です。想像の半分くらいでした。いやぁ三割負担は素晴らしいですね。
終わりです。ありがとうございました。
はい。
終わり。
健康寝たきり生活
仕事がなくなったので今日はずっと横になってネットサーフィンしてました。
ごめんなさい本当に書くことがないといいますか眠いので話題を考える気力がありません。今日はもう寝ます。
ありがとうございました。
原付のない生活
原付が動かなくなってから一ヶ月程度経ちました。いやあ最近時の進みがあまりにも早い。
最近ちょっこと買い物に行くつもりが何時間も目的もなく歩くことが多くなりました。原付で毎日のように100キロ程度走っていたために常に景色が変わるのが日常となったので変化のない部屋に居続けるのに耐えられなくなったのでしょう。しかし聴き飽きた音楽を引き連れて近場の見飽きた景色を毎日見ると言うのは中々に面白くないことです。原付なら自宅周辺にない景色をポンと提供してくれると言うのに私の脚はそれができない。結局は自宅にいる時の退屈さを吹き飛ばせないでいるのです。
ふと高校の頃馬の合う友人とひたすら歩き続けた記憶が思い出されました。今も東京を中心に一緒に歩いては居ますが、高校の頃のように下校ついでに毎日のように歩き回るなんて言うことは出来なくなりました。「今日は横浜駅まで歩こう」「今日はあの方角に歩いてみよう」口には出さねどもお互い暗黙の了解とでも言わんばかりにくる日もくる日もひたすら歩いたのです。
しかしまあ毎日歩いていると言うのによくも会話の話題が生まれたなと今になって思います。どんな話をしていたかは思い出せませんが、少なくともとても楽しかったことは覚えています。たまに都合が合うと今も長々と共に歩くわけですが、あの頃と話題はなんら変わっていないように思います。大人のつまらない会話なぞありません。ゲームなどの共通の話題やら面白い動画やらくだらない冗談やら、私たちは今もなおあの頃のままなのです。可能ならいつまでもあの頃のままでいたいですね。
さて、原付を失い家に籠ることが多くなりましたが恵まれた時代に生まれたなとしみじみ思います。ええ、ネットです。この機械一つで無限に時間を潰せるので何もしないで横になるだけの生活を避けられております。ふとネットが登場する前の人間はどうやって家で時間を潰したのだろうと考えてみましたが嫌な気分になりました。思いつくものだと、テレビや本、絵などの趣味でしょうか。十分なように思いますが、やはりネットの快楽を知っているとどうしても退屈に思えます。なんせネットのない時代は「受け取る」ことしかできません。ただただ情報を受け止めるだけ。しかしネットが普及した今私たちは「発信する」ことができます。知識であれ、趣味であれ、それを不特定多数に公開できるのです。受け取り発信することができる今の時代はとても恵まれているなぁなんて思います。昔だったら引き出しにしまわれたであろう絵を世界に公開できる。ああなんと素晴らしいことか。
さあ明日は日雇い労働です。なんか化粧品詰めるらしいです。正直行きたくないですが、まあ金は必要なので働きますよ。私が願っているのは二つ、寝坊しないことと、変な人と働かないこと。まあ引っ越し以外はみんな優しくしてくれたのであまり不安がらないことにします。ああ三連勤、良いように考えれば三万円。三万円、子供の頃だったら超大金なのになぁ。
今日の話はこれで終わりです。ありがとうございました。
わーい!
多分うまく投稿されています。ただ文章がうまいかは自分ではわかりません。まあ色々な人の書き方を参考にしていけばもう少しブログっぽい感じになるかもしれませんし良いでしょう。
終わり
小学生の頃の夢
小学生の頃からブログにはあこがれがありました。
ただ何に惹かれていたかと言うと特に思い浮かびません。それもそのはず私はブログが何かを理解していなかったのです。あの頃の私は自分専用のサイトというものに特別なものを見出し、何をしたいでもないのにただただ強い興味を抱いていました。
それなのに私は人生で初めてのブログをあれから十年以上経ってようやく開設したのです。
それは何故でしょう?
小学校低学年の私にはメールアドレスでの登録でさえも難解だったからです。
YouTubeでニコニコの転載動画をみて流れるコメントに興味を持つもめーるあどれすがわからず諦めた苦い記憶が思い出されます。私はその失敗をブログ開設の手続きでもって繰り返してしまったのです。
さてネットに十年程度触れた私は今や当然のようにメールアドレスを複数持ち多くのサイトに登録しております。このブログも他と同じようにパパッと登録して作りました。いやあ成長を感じますね。
と言ってもメールアドレスで登録すること位は中学生の頃からできました。それなのになぜ今更作ったのでしょう。それはあの頃ブログに対する興味が薄れていたことと、Twitterで似たようなことが出来たのでわざわざ作る理由がなくなっていたからです。
しかし長らくTwitterを使い転生を繰り返していて気がついたのですが、あの字数の少なさで思ったことを表現するのは極めて難しく、複数投稿するとタイムラインを埋め尽くしてしまい人に迷惑がかかるために自分語りにはあまり向いていないのですよね。
しかしブログならどうでしょう。ここは鍵のかかっていない我が家のようなもの。入りたくば入り興味がなければ寄らねば良いのです。長ったらしい文章でつまらない話を長々としても誰にも迷惑をかけません。なにせここは我が家なのですから。
それと、ある方のブログで自分がかつて持っていた憧れ、興味を思い出したのも大きな理由です。毎日自身の生活を優れた文章で、千から二千文字程度で面白く書き上げるのですから毎度読み応えがあって面白い。読んでいるのは殆どが彼の友人で閲覧者は数十人程度、それでもなお自分のことを書き続けるさまから私は自己発信をする勇気を得たのです。
よって今日より私はここで自分語りをして行きます。
そうですね、彼を真似して毎日日記を付けるのと、あとたまに絵もあげてみようかなと思います。他のサイトであげている絵をここに載せても面白みがないのでここ専用の絵でも描きたいですね。描けるかな?
これで良いのかわかりませんが一応書き切りはしました。これからはもっとこう
ドーン!
って文字の大きさ変えたりしたいですね。
あれもう少し大きくできないのですかね。調べたらなんかすごいめんどくさそう。
まあ読めればいいや(クソ適当)
あと画像貼ってみたり
どうでしょう。うまくいってますかね。
まあ投稿してみてからのお楽しみですね。
それではまた今度お会いしましょう。ありがとうございました。